黄檗 隠元隆琦 即非如一 高泉性潡 百拙元養

隠元隆琦

江戸前期の渡来禅僧。福建省生。隠元は道号、法諱は隆琦。福州黄檗山万福寺で出家、密雲円悟に師事する。のち費隠通容の法を嗣ぎ、万福寺住持となる。長崎興福寺の逸然性融らに招かれて来日。摂津普門寺を経て、宇治黄檗山万福寺開山となる。明の法式に則る黄檗禅を広め、後水尾天皇ら公武の厚い帰依を集めた。書・画・漢詩に優れ、黄檗三筆の一人。延宝元年(1673)寂、82才。

即非如一

江戸前期の渡来禅僧。福建省生。俗姓は林、法諱は如一。龍山寺西来について出家し、のち隠元に参じ、中国黄檗山万福寺で嗣法した。明暦三年千呆らを伴って渡来し、長崎崇福寺に住した。のち小倉小笠原侯に招かれ広寿山福聚寺開山となる。黄檗三筆の一人。寛文11年(1671)寂、56才。

高泉性潡江戸前期の渡来禅僧。福建省生。高泉は道号、別号に雲外・曇華道人。隠元の法嗣慧門如沛の法を嗣ぎ、隠元70才の賀に渡来した。塔頭法苑院に住し、金沢の献珠寺、伏見の天王山仏国寺を開山、ついで宇治黄檗山万福寺第五代住持となる。元禄8年(1695)寂、63才。

百拙元養

江戸中期の黄檗宗の僧。姓は原田、百拙は道号、法諱は初め元椿。若くして臨済禅に入り大随玄機に師事し、のち師と共に黄檗宗仏国寺の高泉性?に就く。高泉の法嗣となった大随の印可を受け、近衛家熙・烏丸光広の帰依を得て仏国寺九代、但馬豊岡興国寺五代住持となる。さらに、洛西鳴滝の尾形乾山旧居に海雲山法蔵寺を中興、第一代となる。書画にすぐれ、詩歌・茶道にも通じた。寛延2年(1749)寂、82才。