福田平八郎 桃 共箱

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商品コード: O-028
福田平八郎 桃 共箱

掛軸 桃 共箱 二重箱 太巻

紙本26.5(121)×24㎝

 

大分市王子中町に生まれる。大分県立大分中学校在学中の明治43年、画家を志して京都に出る。京都市立絵画専門学校別科に入学したのち、翌年京都市立美術工芸学校に入学。同校では竹内栖鳳らに指導をうける。大正4年、京都市立美術工芸学校を卒業。卒業制作の「雨後」は同校の買上げとなる。同年上級の京都市立絵画専門学校に入学し、同校を大正7年卒業。大正8年第1回帝展に「雪」が初入選。同10年第3回帝展に「鯉」を出品し特選を受賞。画名は一躍有名となる。大正13年、京都市立絵画専門学校助教授となり、京都市立美術工芸学校教諭を兼務する。昭和5年研究団体六潮会の結成に参加。昭和7年から15年までの間展覧会を行なう。この間の昭和7年、第13回帝展に水面上の風と光の動きをとらえた「漣」を発表。昭和11年、京都市立絵画専門学校教授となったが、翌年教授を辞任。以後は制作に専念する。昭和22年第3回日展に「筍」、翌23年第4回日展に「新雪」を出品する。昭和28年第9回日展には屋根瓦に落ちる雨跡を描いた「雨」を発表。この間の昭和22年帝国芸術院会員となり、同24年には日展理事となる。同年、第1回毎日美術賞受賞。昭和33年日展常務理事、同44年顧問となる。昭和36年、文化勲章を受章。同年文化功労者に列せられる。同じく36年大分市名誉市民、48年京都市名誉市民に推挙される。円山四条派の写生から出発し、昭和初期には清新な感覚的装飾性にむかい、さらに戦後は独自の象徴性を加えた作風を展開し、晩年には明るい色彩を多用した作品を描いた。

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